2014年01月11日

あの日、、、ツイッターに救われたわけ

2011年3月11日14時46分。
地鳴りと共に、ゆらりゆらりと人生の中で体験をしたことない長い時間の地震に襲われました。
大学で地震を学んでいたこともあったので、すぐにこれがとてつもないことが起こっていることが分かりました。
1分以上の長い揺れのあいだに携帯電話を取って先生たちに連絡を入れましたが、揺れが収まった頃には電話も繋がらなくなってしまいました。
あわてて仕事場に向かったのですが、ふだん20分程度の道のりなのに激しい交通渋滞で1時間以上。
その間、四方八方に電話を掛け続けたのですが、全く通じません。

そんなときに唯一の連絡手段として生き残っていたのがツイッターでした。
先生たちの連絡も、生徒との連絡も、宮城の田舎との連絡も、災害情報もほとんどツイッターからでした。
道という道はすべて自動車で埋め尽くされているので、徒歩で心配な生徒の家を訪ねて歩き、その合間にツイッターで連絡を取り続けたのです。
最近、ある記事を見て、そういえばアクセスできない時に現れるこのクジラの絵が出なかったことに気がつきました。

あの日、、、ツイッターに救われたわけ

日本に、人類の想像を超えた災害が現実に起こったことは、すぐにアメリカに伝わりました。
そのニュースを知ったツイッター社のエンジニアは、日本の人たちが大量にアクセスをしたらすぐに止まってしまい、困るだろうと思ったそうです。
そして、偶然にも週明けから接続する予定だったサーバーが倉庫に置いてあることを思い出したそうです。
彼は独断でその梱包を解き、大急ぎで日本向けのサーバーを3倍に増やしたのだそうです。

その彼はこんなことを言っています。
「いつもボスから言われていたことがありました。――『会社やボスの命令で体を動かすのではなく、会社や社会のためにどうすればいいかということを判断して体を動かしなさい。あなたがこの会社に勤めている限り、自分自身の判断で行動しなさい』」。

そのボスも、口だけではなく、部下との深い信頼もできていたのでしょう。
ツイッター社というのは、そのような風通しの良く、信頼関係が深く出来ている会社なのでしょう。

11日の夜、私のタイムラインには、津波によって閉じ込められた人のツイートのリツイートや沖に流されて救出を求める人のリツイート、火災情報、安全な場所への案内で埋め尽くされ、私も故郷を救う手助けができないものかとリツイートをし続けました。
助からなかった人も多かったと思います。
でも、他の通信手段が次々と分断されていく中、ツイッターの青い鳥のどれだけの人が救われたことだろうと思います。

今日11日は月命日になります。


Posted by アットスクール at 15:02